建築現場監督のススメ

ゼネコン建築現場監督が日々の思うところを書き連ねていきます。

技術者としてなすべきこと

こんにちは、misakiです。

今日は技術者として感じることを少し書いてみます。

 

現場監督というのは技術者、エンジニアです。

私はこれを肝に命じながら仕事をしているつもりです。

現場監督は実際に手を現場で動かして、何かを組み立てるわけではもちろんありませんが、

それぞれの工事に対して専門的な知識を持ち合わせた上で、

施主の求める建物を作る人です。

 

建築の技術というのはすぐさま改善されたりするものは少ないです。

iOSのようにアップデートが月に何回か来たりしないわけです笑

 

■建築技術者として

建物の基本的な要求をまず満たす、これが第一でしょう。

見た目がどれだけ格好良くでも、

寒い・暑い・歪んでるなんてことでは生活がしにくい。

そしてこれまでの人間と建物という長い歴史の中でも、

未だに雨漏があったりする世界です。

そのため、まずは基本的な性能を満たすことを心がけています。

 

建物は簡単に言ってしまえば床・壁・天井・屋根の要素で構成されています。

それぞれに対して適切なタイミングでの品質検査を実施し、

最低限の性能を確保するようにしなければなりません。

 

雨漏りがしない、

床がまっすぐである、

壁に隙間がない、

法律を満たしている、

このあたりはしっかりと図面と法律に準拠しながら管理していきたいところ。

 

このあたりです。

いや、むしろこれだけでしょう。

構造的な話や設備的な話はもちろんありますが、ここを押さえた上での話です。

 

また建物が仕上がってくると、キレイに覆い隠されてしまうことから、

見えないところこそ、気をつけなければならないと。

 

このあたりは建築技術者として理念を持って取り組みたいですね。

 

 

 

 

ゼネコンにいると機械設備、電気設備の比率が

建築工事よりも大きな割合を示す工事がちらほら出てきます。

特に製造関連の工場なんかはそうです。

あくまでタダの箱、その中で作られる製品が重要なわけです。

建物は製品を制作するため、それを満たす箱であればいいのです。

 

施主の求めるものは何なのか、

自分がなすべきことは何なのか、

常に考えていきたいですね。

大手ゼネコン海外勤務のリアル② 現場に出ずっぱり?スタッフの質の低さに愕然。。。?

こんにちは、Misakiです。

今日は海外での現場スタッフについて感じることです。

 

■現地スタッフについて

日々現場を管理する上で欠かせない、ローカルスタッフ。

日本人が現場所長を行うと、その下に工事課長や主任、現場職員が付きます。

コンクリートの打設をしたり、協力会社と打ち合わせをメインに行うのは

日本人ではなく、彼らです。

 

やはり言語の違いもありますし、

現地スタッフ同士のほうがスムーズにことは進みます。

日本人が出張ってくるのは緊急自体のときだけのほうが良いです(笑)

 

彼らは日本人ではありませんし、

大手のゼネコンで要求されるような品質について根本的な理解をしていないケースが多いです。

これはどこの国にいっても同じですが、

日本人が異様なのです。

建物、工場とかであっても、近年は美観にとてもこだわります。

機能的な問題だけでなく、見栄えとかもかなり検査のときに指摘が入ります。

 

彼らローカルスタッフからするとそのあたりが理解できません。

なぜこの日本人たちはここまで言うのか?

彼らはそういった目で私のことを見ます。

私からすると、それは施主が望んでいるから、という回答になります。

 

そして施主検査のときになってようやく気づくわけです。

しかし、本当の意味は理解していないと思います。

とりあえず言われたことをやる、その程度のレベルの人もたくさんです。

日本人感覚でいう、当たり前、は全く通用しません。

 

■10言って5できれば最高レベル

日本で働いていると10言って10できる人もいれば、

10言って5できる程度の人もいます。

しかし、海外で働いてみて、自分の言語能力の低さをありますが、

10言って5できたら、最高ですよ。

10言って2。

もしくは10言って0なんて当たり前です。

10を何回も言って3できるかどうか、でしょう。

 

それくらい海外での仕事やローカルスタッフとのコミュニケーション、

そもそもの文化の違いなんかもあって、

こちらの思いを伝えるのは非常に難しいところを実感しています。

ただの日本人同士で仕事をするだけでも、誤解は生じるわけですから、

コンテクストの違う異国の人と働くには十分な配慮をしなければなりません。

 

もちろん相手へのリスペクトを忘れてはなりません。

たまたま30代前半で日本から来て、

50代の部下が下についたりするわけです。

彼らからしたら面白いはずがありません。

給料も全く違います。

3倍ー10倍は違いますから。

彼らはそれを知っています。

いつだって彼らに気持ちよく働いてもらわないことには現場はうまく進みません。

 

 

いろんなことを考えながら日々現場運営を進めて行きます。。。。

大手ゼネコン海外勤務のリアル① いきなり所長!?

こんにちは、Misakiです。

海外に出て約3年が経過しました。

とある東南アジアで働いている私ですが、

十二分に楽しく仕事をしています。

 

そこで日本と海外での仕事の違いをまとめてみます。

 

■現場所長として活躍

東南アジアである程度現地法人がしっかりとできあがり、

長年日本の技術者が出向し、経営や技術の基盤がしっかりしている国であれば、

30代前半で所長です。

配属される国やプロジェクトの大小にももちろん起因しますが、

基本的に日本人1人、他現地スタッフで現場を収めることになります。

自分の上司が外国人、といったところはアジアだと少ないように思います。

(他社含め北米やヨーロッパの場合は違うように思います。)

 

これは大きなチャンスです。

日本のスーパーゼネコンにいる限り、所長を経験することなど

早くて30代後半、大抵は40歳を過ぎてからです。

実質一人現場、みたいなことはたびたびありますが、

しっかりと肩書としてManager,Project Managerと呼んでもらえるのは海外でのみかと思います。

 

今まで日本ではイチ担当者としての仕事しかしていなかった自分が

所長業務をするわけですから、色々な壁にぶち当たります。

 

それでも任せてもらえる、その経験こそが大きな自分の成長の糧となります。

 

そして所長業務は、、、おもしろい。

人それぞれ好き嫌いはありますが、非常に楽しいです。

ストレスやプレッシャーも大きいですが、緊張感のある中で仕事をできています。

日本のような、ミスをしてはいけない、という緊張感ではなく、

なんとかプロジェクトを成功したい、儲けを出したいといった緊張感です。

 

このあたり、大きな現場で仕事をしたひとはなんとなくわかるんじゃないかな。

日本でのプレッシャーて嫌な感じなんですよね。

私は結構つらかった。。。

 

この国では失敗すれば壊せばいいし、新しいことにもチャレンジしやすい。

自分が中心となって現場を動かすということができます。

日本と違ってシガラミが少ないのも特徴かもしれません。

 

ちなみに、私の働いている国では、施主は日系。

打ち合わせは日本語がメイン。

その中で自分が主導権を持って工事、会議、金を使っていく。

このダイナミックさはなかなか日本では味わえません。

現地法人の社長さんと日々打ち合わせしたりする経験を積ませてもらえるのは、

非常にありがたいところです。

 

これだけでも海外にでた甲斐はあったかな。

 

いろんな経験を積ませてもらって非常に有意義な経験を積むことができます。

若い人は海外に早い段階で出てもいいと思うなぁ。

 

技術的なことは一通り理解して、自分ですべて判断できなければならないですけどね。

 

転職活動中

しばらくブログを書き込むことも減ってしまった。

 

 

現在転職活動を進めています。

理由は色々あるものの、コロナの影響っていうのは大きいのかもしません。

 

現場を続けていくことも、やめることも

まだ決めていませんが、いつでも動けるような準備をしていこうと思います。

コロナ後の世界①

ご無沙汰してます、Misakiです。

仕事に忙殺され、なかなかブログを書くことができませんでした。

 

現況、コロナの影響で諸外国での仕事はストップしているところも多いです。

私のいる国ではなんとか仕事はしていますが、

日本との行き来はできません。

 

建設業界でいうと完全に受注が冷え込んできています。

今年は元より厳しいと予想されていたのですが、

本当に仕事がない。

出件予定だった物件もコロナの影響によってたち消えてます。

 

日系企業を相手に仕事をしており、

メインは工場だったりですが、

その相手先が稼働してなかったり、縮小営業している状態です。

 

まだまだ先は見えず、これからどうなっていくのか。

 

成績と学歴と年収と。これらはすべて環境依存。

こんにちは、misakiです。

たびたび話題になる年収とこどもの成績のはなし。

 

www.orangeitems.com

 

つまり

年収が低いと成績が悪く、

年収が高いと成績が良い。

 

また学歴が低いと成績が悪く、

学歴が高いと成績が良い。

 

度々言われていることだが、

これはかなり私の実感と当てはまる

 

■私の出身地域の環境

私自身は途方も無い田舎の出身であり、

小学校中学校は1クラスのみ、歩いて通える高校なんて無いという環境で育った。

コンビニも無い地域といったほうが良いだろうか。

そのため、周りに専門学校や大学生などいるわけもなく、

彼らが学校でどんなことをしているのかそんなことを知るわけもなかった。

(私が初めて見た大学生は兄である)

 

そして周りを見渡せば大学を卒業して働いている親世代なんてのはほとんどいなくて、

第一次産業や家業に従事している人が多数を占めていた。

 

そのため、私達の同級生は勉強などするわけもない。

勉強が必要だという情報すらないのだ。

 

まわりに私立中学はないから中学受験は誰もしなかった。

中学生になると高校受験のために塾に通い出す人も多いと思うが、

そもそも通える塾がない。

塾に通うには車での親の送り迎えが必要なのだ。

 

そんな環境である。

県内の学力テストでも最低点を叩き出す地区として有名であった。

そこで自分を律して、己から進んで勉強する人間など、いるはずがなかった。

 

 

■同級生たちの進路

そのせいか、周りの同級生たちの進路はどうなっただろうか。

 

中卒・高校中退 5/30

高卒 10/30

専門卒 10/30

大卒 以上 5/30

 

正確には知らないが、ほぼこんなイメージだと思う。

別にこれが不幸だとか言うわけではない。

ただ環境次第でこうなるのだという、ある地方の事実である。

 

これでも私の同級生たちは結構大学に進学したなーというのが

親たちからの私達世代のイメージ。

私より、5つくらい上の世代はもっと大学へ行く人数が少なかったと聞いていた。

 

※当時は一家に一台パソコンがあるという時代でもなかったし、

携帯電話も完全には普及していなかった。

もちろんインターネットが家でできるという人なんて限られていた。

 

 

■なぜ勉強をし、進学できたのか

私の場合は兄弟の影響が大きい。

勉強をしなさい!と強く親に言われたという経験は少ないと思うが、

それでも勉強していた兄弟の姿を見ていたので、当たり前に勉強はしていた。

 

そして塾などにも通わせてもらえたし、

勉強をする環境が当たり前に整えられていたため、私は素直に勉強をした。

 

あとは一生ここで暮らしたいとは思えなかったのが一番の要因かもしれない。

テレビでみる都会への憧れが単純にあったし、

こんな田舎大嫌いだ!といったこども地味た思いが私を突き動かした。

親が苦手だったため、早く親元を離れて生活をしたかったし、

周りの友人たちとの感覚も少しずつずれていったように思える。

そのためにある程度勉強し、高校、大学へと進学した。

 

同級生で大学へ進んだ彼らも同様に塾へ通っていた。

親の協力がない限り、あの環境から大学進学を目指すのはかなり難しいと思う。

 

もちろんそこには当たり前に金の話がついてまわる。

大学進学にはお金がかかるし、

はっきりいって国立大学などへ進学できるほど、皆一様に勉強ができないため、

年間100万以上の学費+一人暮らしの費用などを捻出できる家庭で無い限り、

大学進学へのチャンスは訪れない。

皆知っている通り、大学もピンきりなのだ。

大学に入ったから幸せでも、成功でもなんでもないということだけは述べておく。

 

同級生の中にはもっと勉強したい、都会に出たいという人もいたかもしれない。

でも彼らにチャンスは与えられなかったのだ。

家の都合、家庭の環境がほとんどである。

進学を諦めたやつもいた。

 

高校を卒業して、都会に出たくてもまともな仕事は少ない。

自分で選べる器量もない。

真面目に地方公務員になったやつもいるが、

東京にでて水商売をし、借金を背負って帰ってくるなど

よく聞く話であった。

 

大学に関しては調べれば奨学金だってある。

勉強ができれば学費免除だってある。

 

そんな今皆が知っているような情報は、

当時の私たち・彼らには届かなかった。

気づけなかった。

 

 

■まずは土俵にあがること

勉強するための環境があること、それに気がつけること。

そして本来の自分の可能性に蓋をしないこと。

これらはすべて環境によって潰されてしまう可能性が高い。

 

ほんの一握りの人が異端となって自ら突き進むかもしれないが、

私のような凡人には難しかった。

ある程度強制された環境があったからこそ進学できたし、

今好きなことをできていると思う。

ここに関しては親への感謝は計り知れない。

 

それをもってしか、あそこから抜け出せなかったと思う。

※抜け出すと書いたが、抜け出したかったのは私だけかもしれない笑

 

自分の探究心で、塾にも通わずーーーといった化け物がいることも知っている。

私の友人にも数名いたが、総じて彼らの親の年収は高かった。

 

遺伝子レベルの頭の良さ云々に関しては、

環境から脱却してからようやく出る話なのかなぁと思ったりもするが、

自分ひとりで頑張れる人など、一部なのではないだろうか。

 

凡人たちにとっては環境がすべて、そう思える。

大手ゼネコン勤務者のリアル年収推移  

こんにちは、Misakiです。

ざっくりと日本に居たときの自分の年収を計算してみました。

新卒社員として入社し、既に9年あまりが経過、、、早いような長かったような。

 

とある社員のリアルとして見てみてください。

(すべてボーナス込、1年目のみ4月から12月の給与)

1年目―350万(残業80時間すると月40万くらい)

2年目―550万

3年目―600万(残業80時間すると月50万くらい)

4年目―650万

5年目―750万(このあたりで結婚、諸手当をもらえる分、見かけの給与はアップ)

6年目―900万(建設業が好景気、ボーナスが急にあがる)

7年目―1000万

 

 

結構驚かれるのか、そうでないかはわからないけれども、

端数はきって50万刻みで計算してみました。

 

以下詳細。

・たいてい毎月の残業は50―80時間程度と報告。(本当はもっとしてたり、してなかったり、、)

・人や現場によっては、もっと残業をつけた人もいるらしく、一年目から給与が大変なことになっていた人もいる。

・同期の間で5年目くらいまで給与格差はほぼなく、残業時間の差のみで月収が大きく変わる。

(残業0の部署と年間960時間ではその分の差がつくのは当たり前)

・同年代の他社、他業種よりは高い給与をもらっているなという感覚はあるものの、普段会うのは会社の人間のみなので、大してその実感がわかない。

・基本的には現場勤務、一部内勤をしていたときは残業が少なく、ガッツリと給与が目減り。。。それくらい残業依存の給与。

・もちろん残業を一切しなくても、人ひとり贅沢しなければ十分に暮らせる

・結婚するまではほとんど会社が用意した寮や借り上げのアパートに住んでおり、その際家賃は実質タダみたいなもの。

・結婚してからは現場が変わるたびに引っ越し、自分で部屋を借りて、住宅に関する手当をもらう

・海外に来てから給与は上がった

・けど、物価の影響があるためであり、実感としては減っている感じ。

・ここ数年は建設業の景気がよく、ボーナスが多い。

・ただし、あと2,3年でボーナスは半分くらいになると予想される。

・これだけ貰えているからがんばれている。それが本音。

 

以上といったところでしょうか。

7年目で1000万円を超えましたが、

これは会社の業績によるところが大きいです。

本来ならばもっともっと後になるはずでした。

 

建設業は景気の波を2,3年たった後に受けるため、

このコロナの影響はきっと2年後くらいにぐっとくるはず。

なぜなら手持ちの工事があれば、すぐさま数字には出てこないからです。

アフターコロナでこれからの受注関係が厳しくなると想像できます。

 

参考になれば。