建築現場監督のススメ

ゼネコン建築現場監督が日々の思うところを書き連ねていきます。

何も考えないという選択肢

とある会社の雑務の話。

 

これは仕事ではない。

休日の行事の話しだ。

 

社内、外で開催される行事ある。

誰がどう決めたのかわからないが、2月に1度開催される。

来年度、幹事をしなくてはならないことが決まった。

 

これはある種仕方ない。

歴代の若手たちがやってきたことであり、順番である。

ここに反抗する気はない。

 

だがしかし、この行事の趣旨はなんなのだろうか。

休日に行われているこの行事は仕事でなく、遊びなのだ。

 

遊びなのだからこそ、しっかりとした目的意識を持つべきではないのか。

 

交流会、情報交換会でもいい、

誰々の歓送迎会と銘うってもいい、

なにか明確な目的があるべきでないのか。

 

遊びに対して、なんとなく集まってだらだらするのは

非常につまらない。

私が幹事をやるからには目的意識を持ちつつ、

そして毎回グレードアップしたいし、参加者には喜んでもらいたいのである。

 

だめなところがあれば改善したいし、

次にいかせるものがあれば拾いたい。

学生時代から常にそう思って、

そのために人間を集め、遊んできた私として、遊びとはそういうものなのだ。

 

なんなんだろうか、この気持ちは。

遊びに対しては全力で準備していきたい。

 

だが、他の幹事はそうではない。

なんの工夫もしないし、ただ時が過ぎればいいと思っている。

2月に1回、とにかく無難に終わればいいと思っているし、

はっきりいって脳みそが死んでいると思う。

 

ただ、その気持ちはよくわかる。

何かを変えようとするのは非常に労力がかかるのである。

 

社長や上司に伺いをたてるのもめんどくさいし、

波風立てずに終われば、それでよしと思っている。

事なかれ主義ここに極めり。

 

そして遊ぶのは社内でなくていいと思っている。

これは割と同感だし、そのとおりなんだけど、

せっかくある程度自由あるのだから、もっとここでチャレンジしてもいいと思う。

 

まぁそもそも、ここに労力をかける気がさらさらないのだ。

 

仕事に対してはみんなよく文句し、色々動くくせに、

遊びの行事なんかを真面目にやらないのが意味わからない。

 

私は仕事はそうじゃなくていいと思うけど、そこはみんなと逆らしい。

 

仕事はそこそこ、遊びは全力。

意外と周りが真面目(褒めてない)なのと、古い日本人が多いということを、

わざわざ海外に来て思い知らされるのである。

 

こういった積み重ねによって、

自分もそういった大人たちの仲間入りを果たし、

自分たちが忌み嫌っていたつまらない大人になっていくのだろう。

 

同調圧力に屈しながら、

話をあわせる能力だけが高くなる会社人生。

 

社会人とは会社人であって、社外人であってはならないのだ。

はみ出せば切られ、捨てられる。

日本を出ても日本企業で働く限り、その沼からは抜け出せないと実感した

Misakiでした。

 

 

結局これが上手い人が出世し、金をもらうのである。